【コラム:一人でキャッチボール第2回 ── 文:高島学】

思わぬ──といっても良い方ではないバッドニュースが飛び込んできた。元UFC世界ウェルター級王者のマット・ヒューズがトラックを運転中に列車と接触事故を起こして重態だという。

その後、意識が戻ったという情報も入り、一安心したものの、すぐに彼の家族がSNSを通じて、その事実がないことを伝えた。

マット・ヒューズ、トラック、家族、この単語が並ぶだけで、僕はあの日のことを思い出さずにはいられない。あの広大なトウモロコシ畑の前で胸をはっていた典型的な中西部の男のことを。

マット・ヒューズというレスリングベースの将来有望なファイターがいると伝わってきたのはいつのことだろうか。もうハッキリと覚えてない。ただ、彼のファイトを初めてライブで見た日は覚えている。1999年4月2日インディアナ州インディアナポリスで開催されたエクストリーム・チャレンジでのことだ。

テイクダウンして、ゴツゴツと殴り特に見栄えのするファイターではなかった。その2カ月後にプロ修斗に来日し、郷野聡寛に判定勝ちをしているが、その時も決して強いインパクトを残してはいない。いってみれば地味強だ。彼のようなファイターが殿堂入りできる、強さが成功につながるのが北米MMA界の良いところだった。

自分を持っていた。気に入らない状況になると、自らの立場はしっかりと説明していた。ただし、トラッシュトークにはならない。取材を通しても、言うべきことは口にするが、無駄話や自分を大きく見せる言動もまるでなかった。

まだアブダビで行われていた時代のアブダビコンバット取材からの帰り、アムステルダムまでの飛行機では隣になった。この時もほぼ会話はなく、読んでいた雑誌を「読むか」と手渡され、これは話しかけるなよということだと理解した。

UFC世界王者になり、桜井マッハ速人を相手に王座防衛したことで日本でもその名は知られるようになったマット・ヒューズ。結果的に現役最後の試合となった2011年9月24日から僅か11日後の10月5日、彼はトウモロコシ畑の前で、僕の構えるカメラに向かって目線を送っていた。

たまたまこの時期にセントルイスを訪れる用件があった僕は、彼が車で一時間しか離れていないイリノイ州ヒルズボロに住んでいることもあり、関係者を通して取材を申し込んだ。

取材時間は30分、待ち合わせ場所は人口4000人の小さな街の中心にある教会の前。長女を小学校に迎えに行くので、そのまえに車のなかでインタビューを受けるというものだった。

 

ヒルズボロは人口4000人の田舎街

 

自分の乗っていた車を教会の駐車場に置き、彼のピックアップの助手席に乗り込んだ。約束通り、小学校の前に車を泊めて4WDのなかでインタビューを行った。そして、娘の下校時間になると取材は終わった。「家内は引退してほしいって言うけど、僕はまだ戦いたい」という言葉を残して。

巻き毛を後ろで結った女の子を後部座席のチャイルドシートに乗せ、車を走らせ始めたマット・ヒューズ。教会の前で別れる前に写真を撮れば、米国の田舎街にいる珍しい写真に彼を収めることができるな──頭のなかで最後の段取りをしていると、『僕の畑を見るかい?』という意外な誘いがあった。

道すがら、「昔はここに住んでいたんだ」と言う彼がアクセルを緩めると、庭の掃除をしていた老人が何やら大きな声で話しかけてきた。ヒルズボロの人々は皆、マット・ヒューズに気が付くと親し気に手を振っていた。

「僕は典型的な中西部の人間だから。派手な生活なんていらない。練習のない時は畑仕事をしている生活が向いている。今は、兄が畑に出ているよ」

UFC世界ウェルター級王座に就くこと2度、計7度の王座防衛の成果は500エーカー=61万2100坪の広大な土地だった。森のなかに立つような自宅には、トラクターの格納庫があり、その300メートル先から森の向こうまで続くトウモロコシ畑の持ち主、アメリカン・ドリームを手にした成功者以外の何モノでもなかった。

記者を自宅に招いてくれたマット・ヒューズだが、暫くするとトラクターの整備をし始めた。3人の子供、同じ街で育ち出会ったオウドラ夫人を紹介してくれた時こそ、笑顔を浮かべたが、それ以外の時は特に口数が多くなるわけでもなかった。

大切に保管している猟銃のコレクションを披露してくれた時には──銃口を向けられた。そんな時まで笑顔はないから、ゾッとしてしまったのが本当のところだ。

 

巨大なトラクターを整備し始めた

 

この時ぐらいは笑顔になれよ──、怖いだろう

 

これが自宅の庭。森ではない

 

それでもバックヤードと呼ぶには広すぎる、キャンプ場のような自宅で秋の日差しを浴びていたマット・ヒューズは取材時よりずっとリラックスしており、僕にはテンで知識のないトラクターのギア比や、刈り終わったトウモロコシの収穫について話してくれた。

無駄口は叩かない、質実剛健。自分とはまるで違う、そんな性格がこの日から僕にとって典型的な米国中西部の人間になった。

マット・ヒューズが事故に遭ったのはヒルズボロから4マイルほどしか離れていないレイモンドという街だったという。

彼が大好きな中西部の土に還るのは、まだまだ早い。神様、お願い。偉大なるマット・ヒューズをもう一度、トウモロコシ畑に立たせてあげてください。

 

トウモロコシ畑とマット・ヒューズ。汚れたデニムにセレブ感はまるでなし。実直さだけが伝わってきた

 

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